安全保障


戦争放棄に関する条約(不戦条約)(抜粋) 1928年8月27日署名

第一条 [戦争放棄]

 締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言スル

第二条 [紛争の平和的解決]

 締約国ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ処理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス

 

国際連合憲章(抜粋) 1945年6月26日署名

第2条[原則]

4. すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

第39条[安全保障理事会の一般的権能]

 安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略の存在を決定し、並びに、国政の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。

第42条[軍事的措置]

 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であ ろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

第51条[自衛権]

 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権 利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く機能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

 

国際連合憲章に従った諸国間の友好関係及び協力についての国際法の原則に関する宣言(友好関係原則宣言) 1970年10月24日採択

原則(a)

国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使をいかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならないという原則


はじめに

安全保障とは、国家の領土保全と独立を、外国の武力により脅かされないようにすることである。本稿では、国際法における、安全保障の枠組みの歴史・発達・課題を見ていく。

国際法上の戦争観の歴史

正戦論と無差別戦争観

 正戦論とは、正当原因がある場合にのみ、戦争が正当化されるという考え方であり、非暴力の原則を説くキリスト教国が、戦争を行うことを正当化する神学理論として、中世ヨーロッパに広く浸透していた。「国際法の祖」と呼ばれるグロティウスは、従来の宗教的要素を極力廃し、合理化した正戦論を「戦争と平和の法」(1625)の中で展開し、「自己防衛・財産回復・処罰」を正当原因であるとしていた。しかし、正当性の判断は、各国の判断によるものであったため、交戦国は互いに自国に正当原因があると主張しうるという問題点があった。

 そして18世紀に入ると、正当原因の正・不正は問題とされなくなり、主権国家が国際法に従って戦争を開始すれば、すべての交戦国は対等平等の地位に立つものと考えられるようになった。これが無差別戦争観である。交戦国間には戦時国際法が、交戦国とそれ以外の国家間では中立法規が適用された。無差別戦争観の元で、欧州では、双方の力が均衡していれば、いずれの側も相手を攻撃できなくなり、結果、戦争を防止し平和を維持できるという勢力均衡理論が見られた。そのため、アジアやアフリカ、欧州の中小国などは、勢力均衡の維持などを理由に争奪の対象とされた。

 19世紀末になると、勢力圏の分割が進んだことなどにより、各国家が対立国家と同等の勢力を持とうとして、分核競争と同盟網の拡大を激化させるという勢力均衡の問題点が顕在化していった。そして、1914年第一次世界大戦が勃発し、当時の勢力均衡は決壊した。

戦争の違法化への歩み

 戦争の違法化に対する試みは、1907年の契約上の債務回収のためにする兵力使用の制限に関する条約(ポーター条約) [1] 、1913-14年に米国がいくつかの国家と締結した常設審査委員会設置のための〜国とアメリカ合衆国の間の条約(ブライアン諸条約) [2] などに見られるが、これらは平和的解決手段を尽くさずに戦争に訴えることを禁止するだけで、国家の交戦権を禁止しているものではなかった。

 そして、過去の戦争と本質的に区別されるべき国民意識の高まりと、産業化の発展による戦争の全体化という性質を持ち、かつてない規模の戦争であった第一次世界大戦において、戦勝国及び敗戦国はともに膨大に被害を被った。こうして、各国は戦争への考えを変えていき、戦争の違法化への流れが加速していく。

 そして、第一次世界大戦後の1919年に設立された国際連盟において、一般的な制度として始めて戦争の違法化が確立された。

国際連盟と戦争の違法化

国際連盟規約では、

  1. 連盟加盟国間に「国交断絶に至るの虞ある紛争」が生じた場合、それを仲裁裁判、司法的解決又は連盟理事会の審査に付さなければならない。
  2. 裁判の判決や理事会の報告書が公表されてから3ヶ月以内に戦争に訴えることを禁止する。
  3. 3ヶ月経過後も判決や報告書の勧告に服する国に対して戦争に訴えることを禁止する。

と規定されたが、次のような問題点があった。

  1. 判決や報告書の好評後3ヶ月経過すれば、判決や報告書の勧告に服さない国に対して戦争を行うことができる。
  2. 連盟理事会で、紛争当事国を除く全ての理事国の同意ある報告書が採択されなかった場合、紛争当事国は「正義行動を維持する為必要と認められる処置を執る」ことが許された。
  3. 「戦争に訴える」という表現が使われていたため、武力を行使しても宣戦布告など戦意を表明しなければ規約違反にならない。

そして、1928年にパリで締結された戦争放棄に関する条約(不戦条約)で戦争の全面的な禁止が規定された。同条約は、第1条で、「国家の政策の手段としての戦争」の放棄を規定し、第2条で平和的手段以外の方法で紛争を処理することを禁止した。しかし、依然として「戦争に訴へる」という表現が使われていた点に、専制自衛の可能性が示唆されるという問題が残されていた。

第二次世界大戦後に、設立された国際連合における国連憲章では、国際連盟時の問題は解決されたといえる。国連憲章では、「戦争」という用語は使われておらず、武力の行使及び武力による威嚇自体が禁止されたのである。さらに1970年の友好関係宣言も「武力による対抗措置(武力復仇)を慎むこと」と明記している。そして、現代国際法では、集団安全保障体制に基づく国連憲章第7章の強制措置、国連憲章51条で規定された自衛の場合を除いて、武力による威嚇及び武力の行使は全面的に禁止されているのである。ただし、憲章51条において、専制自衛が認められるかは未解決の問題であるともいえる。

国際連合と戦争の違法化

国際連合では、憲章第2条4項において、戦争を「武力による威嚇又は武力の行為」という文言で規定し、禁止した。また、次の場合についてのみ、例外的に武力行使を認めると規定された。

 基本的に件症状認められている武力行使の正当性は、安全保障理事会が集権的に判断するというシステムがとられている。また、「武力行使の禁止」というものは、1970年の友好関係原則宣言を経て、現在では、国連憲章上の原則から慣習法上の原則へと発展している。

安全保障体制

第一次大戦以前の安全保障体制

第一次世界大戦前、世界の中心たるヨーロッパにおける国家安全保障体制は「勢力均衡」によるものであった。すなわち、自国の軍備拡張や軍事同盟などにより、対立する陣営間の力関係の均衡を保ち、自国の安全を図ろうとしていた。また、この時期、イギリスが、大国間に決定的な影響を与えるバランサーの役割をして勢力均衡維持の一翼を担っていた。

しかし、勢力均衡により安全を保障しようとするため、その力の均衡自体により破綻することとなる。力の均衡を保つために行われる軍拡は、更なる軍拡競争へと発展していくのは自明の理であった。そうした中で、イギリスも、第二次産業革命を終えたドイツ・アメリカによって、かつての圧倒的地位が低下し、バランサーの役目を果たせなくなっていき、ヨーロッパが二台陣営へと分けれ、第一次世界大戦へと進むのである。

国際連盟における安全保障体制

第一次世界大戦が、勢力均衡によって防げなかった反省から、大戦後に設立された国際連盟では、「集団安全保障」が導入された。集団安全保障とは、「集団内の全ての国家が相互に武力の不行使を約束し、それに違反する国家が出てきた場合、違反国以外の全ての国家が、その違反国に対して、武力行使や経済制裁などを実施し、強制する」というものである。勢力均衡が、国際社会の安定を力関係によって、外部に設けられた仮想敵国に対して向けられるのに対して、集団安全保障は戦争防止を目的として、集団内部に仮想敵国を設け、内部の秩序維持に向けられたという点で異なる。

しかし、国際連盟の集団安全保障体制には、

などの問題点があり、結局、第二次世界大戦を防ぐことができなかったのである。

国連の安全保障体制

第二次大戦後に設立された国際連合では、国際連盟の集団安全保障体制を受け継ぎながらも、その欠点を修正した新しい安全保障体制を作り上げた。

憲章上は、

という改善点があげられる。しかし、実際には、米ソ間の冷戦により、安保理は形骸化し、冷戦下ではむしろ、核兵器による「恐怖の均衡」に基づいた米ソの二極系勢力均衡で安全保障がなされていたといえる。また、国連軍も正式な形では、一度も組織されたことがない。

自衛権

自衛とは、ある国家が、外国からの不法な武力行為を受けた際に、緊急でやむをえない場合、自国の法益(主権、領土、国民、財産など)を守るために、これを排撃する行為のことを言い、国連憲章第51条にも認められた権利である。特に、国連は、安保理が中心的且つ集権的な制度であるため、安保理が機能不全に陥った場合、集団安全保障体制が機能しなくなる恐れがあったため、国連だけでは、自国の安全を必ずしも守りきれないということから、自衛権が明記された。

そして、自衛権は、その国家単独で行う個別的自衛権と、同盟国と協力して行う集団的自衛権に分けられる。

個別的自衛権の発動要件

 1837年のカロライン号事件において、ウェブスター米国務長官が抗議の際に示した自衛の要件が、今日における自衛の要件として援用されている。その要件は、

  1. 緊急性(武力攻撃が、急迫して、圧倒的である)
  2. 必要性(武力攻撃が、やむを得ず行使したものである)
  3. 均衡性(武力攻撃に対して、必要最小限度で、不合理・過度なものでない)

の3要件である。国際法上の自衛権の要件に「違法性」が持ち出されたことはない。

集団的自衛権

自国が直接攻撃を受けてはいないが、同盟関係にある国家などへの攻撃を、その国家に関わる自国の重大利益の侵害を理由に、共同で実力を持って阻止する権利をいう。

第二次世界大戦以降、この集団的自衛権を援用して、さまざまな地域的同盟機構が組織された。例えば、北大西洋条約機構(1949)、ワルシャワ条約機構(1955)、東南アジア条約機構(1954)、日米安全保障条約(1951)などである。国連の集団安全保障体制と集団的自衛権に基づく地域的同盟機構は、前者が国連加盟国内の平和と安全の維持に向けられるが、後者は外部に仮想敵国を設定している。これは、当初の設立目的からすれば、矛盾している。しかし、国連憲章の起草当時、ラテンアメリカ諸国やアラブ諸国が集団安全保障体制の下では、地域的組織の活動が阻害されるのではないかという危惧を考慮したためであった。

地域的安全保障

地域的安全保障と国連の統制

 普遍的な平和維持機構としての国連の下においても、地域的な紛争の解決や平和維持については、地域の特殊性や連帯感を起訴とした地域的取極めや地域的機関を積極的に活用する体制がとられている。国連憲章第52条において、地域的取極めや地域的期間及びその行動については、国連の「目的及び原則」と一致することが条件とされているほか、第53条においては、それらの取極めや機関による「強制措置」の実施に当たっては安保理による許可が求められるなど、国連による統制が明確に規定されている。

欧州の安全保障体制

 集団的自衛権は、冷戦期に米国とソ連がそれぞれ軍事ブロックを形成し、地域紛争を解決するための法的根拠として大いに活用された。例えば、北大西洋条約第5条は、いずれかの締約国に対して、武力攻撃が行われた場合は、各締約国が「国連憲章第51条の規定によって認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する」と規定しており、その実施のために、加盟国の軍隊を統一的に運用する軍事機構(NATO)

が設けられたのである。

 しかし、冷戦終結により、ソ連・東欧諸国観の軍事同盟(ワルシャワ条約機構)が消滅し、外部からの武力攻撃の恐れがなくなったのことから、NATOはヨーロッパ秩序と安定を主要な課題とするようになった。

参考文献



[1] 契約上の債務回収のためにする兵力使用の制限に関する条約:ハーグ国際平和会議において、締結された最初の戦争禁止条約、当時、ラテンアメリカ諸国と欧米の企業は、さまざまな契約を結んでいたが、時に国の経済力などによりラテンアメリカが契約を履行できないことがあり、そのたびに列強による武力介入があった。そのため、介入をなくすために同条約が結ばれた。禁止される武力行使の範囲はきわめて限定的で、債務国が仲裁裁判の申し出を拒否したり、判決に従わなければ適用されない。

[2] 常設審査委員会設置のための〜国とアメリカ合衆国の間の条約:アメリカが各国と結んだ、一定の紛争を国際委員会に付託し、委員会の報告が出るまで兵力の使用を禁止した条約。

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