国際環境法〜枠組み条約への発展

伝統的国際環境法〜その法源の歴史

 国際法で、環境という概念があらそわれたのは、1941年のトレイル溶鉱所事件 [1] が最初である。アメリカとカナダの間で、仲裁裁判として争われたこの事件は、決して明快なほう理論を持って判断されたものではなかったが、国際法において環境被害を肯定的に認めた初めてのケースである。判決の根拠として、国家は、他国領域に対して、大気汚染をもたらすような自国領域の使用を許してはならないと領域の管理義務を採用した。同様の管理義務は、1949年のコルフ海峡事件 [2] においても確認されており、慣習国際法として確立している。また、環境への影響を関係国に事前に通告する国際協力義務も、1957年のラヌー湖事件 [3] を通して慣習法化しているといえる。

 しかし、これらは、あくまでも領域主権の相互主義に基づいて下された判決であり、環境を破壊したことに対する直接の国家責任(環境自体を保護法益として)を認めたものではない。被害の予防・救済という観点が欠落しており、また、統一的な基準・協議手続きも不明のままであるため、広範囲にわたる現在の環境問題には対応できないであろう。温暖化や砂漠化に見られるような地域規模で進行する問題に対し、領域主権の法理はあまりに個別的過ぎるといわざるを得ない。

ソフトローの登場〜国際環境法の普遍化

 第二次大戦後、発展途上国が急速に工業化を進める中で環境破壊は誰の目にも明らかとなり、いずれ人類の生存を脅かすものだとの認識が共有されるに至る。共通関心事項として、環境を見直し、法益化する作業が始まり、1972年の国連人権環境宣言において結実する。同宣言では、環境に対する国家の責任、環境損害に対する補償、保護のための国際協力などを規定した。その後、これらの原則は、国際環境計画(UNDP) が画中心となって作成された環境保護条約などの基礎となるなど、その意義は大きいといえる。

 人間環境宣言のような地球規模の問題を解決するための条約は、普遍的多数国間条約の形をとらなければ意味がない。当事国が少ないようでは、その目的が達成するのは不可能だからである。しかし、南北間はおろか、先進国の間でも立場に格差がある環境問題を合意に導くことは非常に困難で、結果として法的効力力のない宣言として採択されたのであった。主な原因としては、環境への配慮は多かれ少なかれ経済的発展にマイナスの効果があるから、各国とも積極的な姿勢を見せないことが挙げられる。また、換気用破壊については因果関係が希薄な場合が多く、前もって、ある行為の禁止を規定することで法的効果を導き出すことが困難なことも、中身のない宣言的条項につながってしまう要因であるといえる。

 環境条約のような多数の国家の同意と、できる限り速やかな成立が望ましい国際法は厳格な手続きを必要とするハードローよりも、原則宣言・指針(ガイドライン)の形を取る拘束力の弱いソフトローのほうが一般国際法となりやすい点で好都合である。このため、一時は、国際社会の方向付けに最適であると多用されたが、後からの実行が伴わなければ、限定的な法源しか持ち得ないのである。環境においては、ソフトローが本質的に抱える問題点が顕在化してしまったのである。すなわち、合意される内容がもっとも商況的な国家が同意できる最大公約数と呼ばれるところまで薄められ、また、内容を実行に移す国家が少なかったのである。

枠組み条約〜国際法立法論の新展開

 最近の環境条約は、上述の問題点を補完すべく新たな立法形式を作り出した。

 第一に、条約への加入を促しつつ合意のレベルを一定以上に保つため、1992年の地球サミットにおいて「共通だが際のある責任」(環境と開発に関するリオ宣言第7原則)という概念を生み出した。これは、各国の利害・国力を考慮して条約上の義務にある程度の違いをつけるというものである。特に、環境条約は、経済的な負担を伴うので、発展途上国と先進国の間で義務の差異化を図ることが一般的である。発展途上国に対する一定期間の義務履行の猶予(オゾン層破壊物質に関するモントリオール議定書第5条)や、先進国にのみ数値目標を課す(気候変動枠組み条約今日と議定書第3条)といった例がある。

 第二に、条約の加入を条件にさまざまなインセンティブを与える試みもなされている。インセンティブには二つに大別され、一つは、発展途上国に地球環境ファシリティー(GEF)を通じての援助や、条約の実施のために必要な資金を先進国から受ける権利を認めるポジティブインセンティブがある。もう一つは、条約が規制する品目について、非締約国に対し、禁輸措置をとることで加入を促進するネガティブインセンティブがある。

 第三の手段が「枠組み条約」である。全体目標、協力義務を一般的な枠組みとして締結し、その後の締約国会議で具体的な義務、条約の解釈を議定書として決定する形をとる。この条約は、採択された時点では、あいまいでソフトローのように拘束力のない単なる努力目標に過ぎない。そのため、成立当初から多くの国家の参加が期待でき、定期的に開かれる締約国会議において、内容を詳細に決定していき、最終的に拘束力のあるハードロー化していくのである。しかし、実際の義務を決定する会議において、利害関係が表面化し、行き詰ってしまうということがある。この点が最大の欠点ではあるが、締約国数と条約の実効性のバランスを保つ、つまりは国家間の同意原則を克服し、一般的拘束力を付与するには致し方ない点であるといえる。

環境アセスメント〜履行確保のために

 さて、条約が批准されてもその履行・遵守がなされないのであれば何の意味もない。環境アセスメントとは、国家の意思決定の過程に外部の意見を反映させて、いっそう環境に配慮するよう確保し、条約の履行を支えるシステムである。ソフトローはその曖昧さゆえに、国家に広い裁量を持たせてしまうが、実際に影響をこうむる実体(地域住民など)が意思決定の過程に参加することで、その裁量に一定の制限を設けようとするものである。

 例えば、日本において、諌早干潟と藤前干潟のケースがこれを端的に現している。どちらも条約上の義務に基づいて地域住民・NGOが参加する形で事業が進められたが、諌早干潟は埋め立てられ、藤前干潟は残された。決定的な違いは、諌早干潟では次の締約国会議まで相当の期間があったため、反対を押し切って埋め立てられた。一方で、次に埋め立て予定だった藤前干潟は会議までに時間がなく、その場で、NGOのロビー活動と各国からの事業目的の説明を求められることが予想されたため見送られた。

 これは、干潟の保護を直接に定めた条文の効果ではなく、その処分に当たって必要な手続きを経ていくうちに日本政府に再考を促し、結果干潟が守られたのであった。このように具体的な義務を直接に規定するのではなく、手続法の面から、環境保護の目的を達成しようとする流れも国際法の新たな潮流である。同時に、NGOの会議におけるロビー活動は、国会外の主体が意思決定に参加できる意味で今後も竜目に値するであろう。

 また、全世界的なネットワークを持つNGOが、手続きに参加することは一定の監視効果を生じさせる。この活発な活動を支えるため、条約中にNGOの参加を明文で定めていなくても、その後の勧告的決議・議定書で認めるケースも増えており、中には常設委員会で発言を認める条約もある。条約として監視のための特別な機構を備えていなくても、結果として、自由権規約における通報制度に非常に近いシステムとなっている点で興味深いといえる。

気候変動に関する国連枠組み条約〜条約の特徴

 気候変動枠組み条約について、法的側面から、簡単な検討を加える。その他の枠組み条約と異なる点は、先進国に二酸化炭素削減量の数値義務を課した点である。2000年の締約国会議COP6は、この義務の抜け道を巡って対立した。つまり、森林吸収量、途上国に対する温暖化防止の技術支援(クリーン開発メカニズム:CDM)によって抑制した量を自国が削減した量として組み込めるかが争点であった。また、目標を達成して、余った排出枠の経済的取引についても結論は出なかった。結局、物別れに終わったが、多角的・効果的に二酸化炭素の削減に貢献しうるこれらのシステムは、今後の環境条約において十分な千家的な意味を持っているのではないだろうか。
(2001年以降の進展、及びアメリカの離脱という致命的な事実については、後日加筆したい)

 以上、法源を明らかにしようとする立場から環境法を見てきた。環境法は、地球規模での対策を必要とするので、これまでの国家の同意を原則として成立してきた国際法に、枠組み条約という新しいほう概念を誕生させた。しかし、一向に環境問題に解決のめどは立っておらず、いまだ不十分である。このため、環境という分野から新たな形の国際法規が誕生することが期待できよう。また、そうしなければならないのである。

参考文献



[1] トレイル溶鉱所事件(1941):アメリカ国境近くで創業していたカナダの溶鉱所が排出する排気ガスが、国境を越えてアメリカの農作物・森林に損害を与えたとする越境公害事件。国境を越える環境被害に国際責任を認めた初めての事例である。しかし、あくまでも伝統的国際法に立脚して領域主権を援用した点に課題が残る。

[2] コルフ海峡事件(1949):アルバニア領域内に設置されていた旧ドイツ軍の機雷に、イギリス船が触雷・大破し、イギリスがアルバニアに対し損害賠償を請求した事件。ちなみに、ICJに付託されたものとしては初めての事例である。

[3] ラヌー湖事件(1957):フランスが、ラヌー湖を水源地とする国際河川キャロル川に水力発電所を建設しようとして、キャロル川下流のスペインに大体河川の提案をした際、スペインが河川利用に関する二国間条約に違反するとして仲裁裁判を求めた事件。判決では、フランスに事前の通告・協議義務を負わせる一方で、スペインには手続き上の権利があるだけで、計画の拒否・妨害件はないとした。

history of update
ver.1.11/2004.01.25 modified the title.
ver.1.10/2004.01.10 added table of contents.
ver.1.00/2003.12.22 opened to the public.


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