アジア地域は1980年代後半から90年代前半にかけて、高い経済成長を遂げ、「東アジアの奇跡」とまで言われた。アジア経済は、85年のプラザ合意以降、円高ドル安基調が続く中で、日本などの先進国からの技術ノウハウ、資金及びマーケットの提供により、工業製品を中心とする輸出主導の成長パターンをたどった。まず、NIEsが高成長を遂げ、これらの地域の生産コストと為替レートが上昇した80年代末以降、ASEAN、ついで中国が高成長期を迎えた。日本をはじめとする先進国の旺盛な直接投資は、こうしたアジアの輸出主導型成長を大きくバックアップした。
また、NIEsの製造業も、自らの通貨切り上げや諸コスト上昇を背景に生産拠点の移転をアジア域内で活発化し、分業体制の構築を通じて域内の経済的相互依存関係を進化させた。直接投資はその受入国にとって、返済を必要としない安定した中長期的資金の調達であるとともに、技術・経営ノウハウがワンセットで移転されるなど、他の資金調達手段にはないメリットが享受できた。さらに、製造輸出を伴う製造業の直接投資の場合には、輸出の拡大が外貨獲得に結びつき、資本財輸入の原資が確保されるため、更なる経済建設が可能となったのである。
世界銀行が1993年に出版した『東アジアの奇跡』は、その中で アジアの高成長を可能にした要素として、廉価で勤勉な労働力、基本的に健全な開発政策と良好なマクロ経済運営の存在 を指摘していた。しかし、高成長が持続する中で、アジアに流入する資金は直接投資から短期資金へと比重が移り、資金使途も必ずしも産業高度化や生産性向上に直結しない不動産開発などの分野へと次第に拡大していったのである。
ポール・クルーグマンは1994年に「The Myth of the Asia’s Miracle(まぼろしのアジア経済)」の中で、
技術の進歩により、全要素生産性が持続的に増加する場合にのみ、持続型の経済成長は可能であり、生産効率の上昇を伴わない単なる資金投入の増大は、いずれ先細りになる。すなわち、資金投入増加型の経済成長には限界があり、かつてのソ連やアジアの高度経済成長がそれに当たるということを述べていた。
1994年12月にはメキシコで通貨危機が発生し、いったん国際的信認を失った場合の民間資金の逃げ足の速さと、それに誘発される機器の突発性や深刻度が国際金融市場で深く認識され、次の点に対して、警戒すべきであるという教訓が指摘されていた。
しかし、アジアにおいて、経常収支赤字の改善が進まなく、短期資金への依存度が高まり、不十分な金融監督下での過剰投資が進み、「米ドルペッグ」の為替政策による通貨の過大評価と輸出の急激な鈍化により、1997年7月タイバーツの変動相場制への移行(実質的な為替切り下げ)が起こり、アジア通貨危機の始まりであった。メキシコの場合とは異なり、アジア地域の相互依存関係から、アジア各国で連鎖的に通貨が下落し、それにともに国内金利の上昇、株価の下落、金融システム不安などが発生した。
今回の危機への対応として、タイ・インドネシア・韓国の3カ国はIMFに支援を要請した。IMFは融資条件(コンディショナリティー)として、
今回の通貨危機は東アジア諸国に二つの教訓を示している。
である。
これを受けて、日本は1997年8月のタイ金融支援国会合で、IMFを補完するAMF(アジア通貨基金)構想を提起したが、
という理由により、アメリカが反対したため、この構想の議論はなされていない。
しかし、1997年11月の東アジア諸国を中心とする14カ国の蔵相・中央銀行総裁代理による会合で、
が、合意された(マニラ・フレームワーク)。
さらに、1998年3月に発表された新宮沢構想に基づく二国間スワップ協定や、東アジア諸国間のレポ取極め、ASEANスワップ協定などが締結されている。
2000年5月にはASEAN+3蔵相会議において、
が合意された(チェンマイイニシアティブ)。
ASEAN+3の枠組みには更なる期待が寄せられていて、2000年11月に開催されたASEAN首脳会議で、中国はASEANに東アジアFTA構想を提案し(ASEAN+中国でのFTA構想は2001年11月に合意された)、ASEAN側は直ちにASEAN+3でのFTA構想を逆提案している。日本は、ASEAN+中国のFTAには参加していないが、2002年1月にシンガポールと「日本・シンガポール経済連携協定」を調印するとともに、「日本・ASEAN包括的経済連携構想」を提案した。これは、従来の日本の多国間主義から地域主義への転換であり、その具体策が、対シンガポールFTAの締結であるといえる。
しかし、日本側のFTAに対する意識の問題が問われている。特記すべきは、日本の農産物自由化への従来どおりの消極姿勢である。対シンガポールFTAにおいても、日本側は2000品目近い農産物とエチレンを、無税化の対象から排除しており、この消極姿勢の継続は、農業国の多いASEAN諸国にとって、ASEAN包括的経済連携構想の魅力をそぐものといわざるを得なく、日本の意識の変革が求められている。
また、通貨危機後のアジア及びリージョナリズムの進むアジアに対して、日本のODAのあり方にも見直しの必要性が叫ばれている。1992年6月に閣議決定されたODA大網は、
として示され、一貫して経済インフラの援助に力を注いできた。
しかし、現代国際関係は、覇権期から多極期へと向かい、グローバルガバナンスのもとでの「共通価値共有」によるものであり、共通価値共有という行動基準の下、従来の「国際公共財」の概念から「地球公共財」という新しい概念を提示している。
この地球公共財の考え方は、特定・個別に行われてきた政策領域を切り離さずに相互に関連するものとして町域横断的に考え、また、主体を国家のみでなく非国家も含めた多様なネットワークによるものとして、且つ、従来の国家を中心とした安全保障から、人間を中心とした「人間の安全保障」として展開されている。「人間の安全保障」の考え方は、生きとし生ける人間が「自由を求めるプロセス」自体を発展として捉えており、その自由とは「人間らしさを求める自由」、「欠乏と貧困からの自由」、「恐怖と紛争からの自由」から構成されている。
そのようなグローバル化に伴う進展の中で、貧困の克服が経済・開発上の問題としてのみならず、国際的な安定を損ねる問題であると認識され、貧困削減が途上国援助の最大の課題とされるようになっている。また、途上国の持続的な経済発展のためには貧困問題に加え、環境問題、地域的及び世界的国際金融の安定も欠くことのできない重要な課題であるといえる。これらを考慮したうえで、さらに、(非援助地のニーズや、よりきめ細かい草の根援助を可能にする)NGOとの協力関係の強化、及びNGOの活動を支援する法整備や社会システムの強化が求められるだろう。
これらの点に関連して、面白い(と自分で思っているだけであり、実効性については分らないが)一つの私見を提示したい。それは、ODAを円建てで行い、その使用についても円建てで使うことだけを条件とする(日本企業に発注するという紐付きではない)というものである。もちろん、これはアジア地域に対するものとしての話ではあるのだが、その効用としては、
が考えられるだろう。これは、以前に、アジアの経済圏構想の研究をした際に、「こんなのどうだろう?」と軽く出てきた言葉によるもので、何の権威付けもないものである。
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