アジアの多様性

アジア通貨危機 [1]

アジア通貨危機の原因は、ドルへの過度の依存と、通貨投機であり、それによる急激な資本流出であった。流入資本が直接投資のように長期安定的なものであれば問題はなかったのであるが、そうではなかった。また、バブル的な状況下でアジアの国々はいち早く、財政金融政策を引き締め気味にして、国内の過剰な需要を吸収・管理すべきだったのに、それをやらなかった。国の威信にかかわるため外貨建ての債務増大を伴う通貨の切り下げを行う決断は政治的にきわめて難しかった。そして、アジア通貨危機はこうした背景の下でアジア各国への大量の資金流入が、投機が引き金になっていっせいに流出して起こったのである。

共通通貨(単位)形成の提言

 そのような通貨危機の再発を防止するため、多くの提案がなされているが、そのひとつにアジア圏における共通通貨が通貨安定の一手段として検討すべきことが、国家首脳によってもなされている [2]

共通通貨(単位)成立の条件としては、客観的にその必要性があること、主観的にそのための政治的意思が形成されることが必要とされ、主観的な政治形成意思が形成されているとはいえないが、客観的必要性については、アジア通貨危機を経験し、高い経済成長を維持するためには何よりも通貨の安定が必要であることが認識されている [3]

共通通貨(単位)形成の各国の利益 [4]

問題提起

現実として通貨統合を行うことには、榊原英資氏も「性急だ」と否定的な見解を示している [5] が、通貨危機後のアジア経済からの要請によって、アジア圏における経済統合及び通貨統合の検討の余地が出てきた今日、アジアにおける多様性を克服することが出来ないのかという論点を提起したい。

 このテクストにおいて、アジアという用語の定義であるが、できるだけ広い意味で捉えられることを願っている。当然、アジアにおける多様性という時には広い範囲でのアジアを想定している。また、アジア圏における経済統合及び通貨統合という場合には、現時点では実際のところASEAN+3が限度であるだろう。しかし、北朝鮮、台湾、チベット、インド、パキスタン、さらには北東ロシアに対しても、実際に経済圏に参加するかどうかは別として、議論のための座席を空けておき、望めばいつでも席についてもらえるようにしておくことが重要であり、議論や統合にそれらの国が参加するかどうかではないと考える。

APECの多様性 [6]

アジアの経済圏を考える際に、現存の協議体としてのAPECにおける多様性をあげる。

  1. 「体制横断型」協力。日本に代表される先進的自由主義国と中国・ヴェトナムという社会主義国とが共通の経済協力制度に参加している。社会主義市場経済の実現を目指す両社会主義国は、多様なアジア太平洋経済協力を象徴するものといえる。
  2. 「南北横断型」協力。経済水準で見ると、大雑把に言って、一人当たりGDPが約3万ドルの日本から約400ドルの中国にいたる巨大な格差が存在している。したがって地域経済協力といっても、先進国同士の自由北から南北間(場合によっては南南間)の経済援助まで、多様な形態をとらざるを得ない。
  3. 多様な主体同士の「プラグマティックな」協力。アジア太平洋の経済には主権国家以外の主体、具体的には、アジアNIESの一員である台湾と香港を無視するわけにはいかない。そのため、香港の非植民地化や中国・台湾の統一問題というきわめて微妙な政治問題を抱えている。
  4. 「異文化接触的な」協力。国際社会全体を覆っている表層的規範はヨーロッパ文化を色濃く反映した国際法規範と外交慣習である。経済や投資の自由化を含む大掛かりな経済統合のプロセスがすでに動き始めており、実際、政府間や民間同士の協力・協議の過程で、各国の観衆や価値観の違いや摩擦が実体面でも手続き面でも目に付くようになった。共通しているが明らかに表層的な国際関係規範のもとにある各国・各社会の多様な文化のハーモナイゼーションとインターフェイスとが現在APECで最も根本的な多様性をめぐる課題となっている。

アジア的価値論について

急速な経済発展を遂げたアジア諸国の指導者らが「アジアの流儀」を唱道して、人権外交など欧米の圧力に激しく反発した。アジアの流儀は開発主義的保護誘導という限定を付した市場経済原理と、いわゆる「アジア的価値」論との結合である [7] 。「アジア的価値」をアジアにおけるリベラル・デモクラシーの文化的不適格性の根拠とする見方が誤診であり、欧米中心主義の限界を超えてリベラル・デモクラシーを進化発展させる契機が内在すること [8] が述べられている。

アジア的価値の概念がアジアの声の複雑性と多様性を隠蔽すると共に、アジアの真に主体的な発意足りえておらず、むしろ、アジア的価値が克服すると標榜している欧米中心主義の枠組みに寄生し、それを濫用してさえいること [9] が、次のことから述べられている。

  1. 人権分野への内政不干渉に対し、(a)国際関係における主権国家の対等かつ独立した地位は、人権共有主体たる諸個人の平等と自立性の概念的投影であり、(b)人権は主権の機能的補完物であり、(c)主権は人権の保証装置であるという点から、「人権よりも主権」や「主権よりも人権」でなく「人権なくして主権なし」という命題の理解の必要性 [10]
  2. 市民的政治的人権の前に社会的経済的人権をというアジア的価値論のレトリック(自由に対する生存の優位の思想)は、アジアの途上国が本当に持つ発展欲求と優先課題に相反する欺瞞的な自己理解といえ、アジアの諸国にとって切実な社会的経済的発展という課題は、社会的経済的人権保障の暫定的トレード・オフをやむをえないものとするかもしれないが、市民的政治的諸権利の蹂躙を決して正当化しうるものではないこと [11]
  3. 「東洋」対「西洋」の二元論に対して、それはアジアが「西洋」と根本的に異質な固有の文化的本質を持ち、この本質がすべてのアジア諸社会とその歴史を貫徹するがゆえに、現象的に相違と変化にかかわらず、統一的で持続的な文化的全体をなすという前提にたつが、「西洋」に対比された「東洋」という非差別的な負わされたアイデンティティであること [12]

 アジアの声とリベラル・デモクラシーとが接合可能であること、しかも単に一部のアジアの声がリベラル・デモクラシーを求めているというにとどまらず、アジアの声の内的多様性と葛藤を抱擁し、それが提起する諸問題を解決するために必要な思想的・制度的資源をリベラル・デモクラシーが提供しうること [13] を、次のことから述べられている。

  1. 「文明の衝突」に言われるように、アジアをユダヤ=キリスト教的西洋に対峙する儒教文化圏、あるいは儒教=イスラム文明圏として描くことは、(a)ヒンズー教と仏教が、アジアの人々の精神生活に与えている影響を無視することは到底許されないこと、(b)世俗的・人間中心的色彩の強い儒教と超越的一神教の典型たるイスラム教の間には、両者を同じ宗教の概念でくくることの適切性を疑われるほど深い溝があること、から漫画的誇張としてさえ不当であり、
    アジア自らがはらむ宗教的文化的多様性から生じる政治的な葛藤や緊張は人民や民主主義などの意義を考える上で現実的重大性を持ち、何らかの形態のリベラル・デモクラシーを発展させることは、アジア諸国が抱えるこの困難な問題を安定的かつ公平に解決する方途となること。 [14]
  2. 「個人主義的欧米」対「共同体主義的アジア」という二項対立については、(a)個人主義と共同体主義との緊張が欧米とアジアの間にではなく、それぞれの内部に貫流していて、アジアが個人主義を欠くゆえにリベラル・デモクラシーは受容不可能とはいえないこと、(b)現代共同体論者がリベラル・デモクラシーは共同体主義的要素と密接に結合していると示すように、その基礎が個人主義であるという仮定は留保なしには成立しないこと、(c)リベラル・デモクラシーにおいて、民主的契機が内包する集合的決定の論理の暴走を抑止すべく「個人権」の尊重を要請するという意味では個人的であることから、
    リベラル・デモクラシーは個人主義と共同体主義のいずれかに排他的に依拠しているのではなく、この二つの競合する原理を共に包容し、その緊張を相補的・相互依存的関係に添加するよう両者を接合することを目指すものであること。 [15]

地域規範形成のASEAN方式 [16]

ASEAN諸国政府の間には、その多様性のために、友好的関係を傷つけないための慣行が確立し、徐々に規範としての力を獲得していった。相互信頼が十分ではなく、利害関心が多様で、ひとつにまとまりにくい国々が斬新的に蓄積される協力関係の網に捕らえられていく方法である。この方式はASEANをはじめ、APEC・ARF・ASEMでもとられている。

  1. 認識の共有化。(a)共通の関心あるいは共通の危機意識があることを相互に確認する、(b)相互に対立し続けることのコストを相互に認識する、(c)相互不信の低減・払拭と相互信頼の醸成を目標にする、(d)そのための定期的コミュニケーションの場(継続的外交会議)を確保するという段階である。
  2. 合意形成の特徴。(a)具体的な目的を事前に明確にしようとして対立点を明らかにすることは避ける、(b)合意できることからはじめる、(c)合意できないことは後回しにしてあえて早急に交渉・妥協しようとしない、(d)決断を極力回避して、継続議題のまま店晒しにする、(e)公式的には、あるいは外部に対しては一致点のみを強調する、という特徴がある。
  3. 協力の進め方の特徴。(a)協力プロジェクトは目的というよりコミュニケーション円滑化とアイデンティティ形成のための手段である、(b)会合は閣僚級から事務レベルにいたるまで幾層にも設置して定期的に開催する、(c)会合は交渉の場ではなく協議(非公式な話し合い)の場とする、(d)テーブルの上では友好的に振舞いながらしたでは本音をぶつけ合う(交渉のように、公式に席では建前をぶつけ合って相互批判と対立の構図を見せ付け、水面下で妥協の工作をするようなことは避ける)、(e)域内大国はなるべく自生的に行動し、小国は大国を徒に刺激しない、(f)特定の国の不利益に対して、同情的に協力を試みる、(g)長期を展望すると互酬的な関係になっていることが確認できる。

 ASEANは、継続的会議外交を何年も続ける中で、協議の慣習化、運営の制度化が進行し、自ずと共通のアイデンティティが形成され、何かやるときには一緒にやる傾向が高まってきた。

APECの多様性に対する検討

「体制横断型」というものに関しては、北朝鮮を除く、社会主義国が資本主義への段階的な移行を表明していることから考えると、この点については、これから先もそれほど障害になり続けるというわけではないと思われる。

 「南北横断型」というものに関して、これは、金を持っている国の嫌味と思われたとしても、大国である日本がいかにODAや技術援助というもので、格差を是正できるかということに尽きるのではないかと思う。自由経済原理が、結局、金持ちをさらに金持ちにするだけだというように呼ばれているが、アジアの国々が援助を受けて、いかに再生産能力を積めるかという、被援助国の努力も必要だろうと思う。

 「プラグマティックな」という点に関しては、中国というお国柄から考えると、絶対に妥協はしないと思われるが、社会主義国が資本主義への移行の段階において、考え方の変更を必然的に迫られてくるのではないかと思う。つまりは、国家の分裂、中国の連邦制への移行などが考えられるのではないだろうか。

 「異文化接触的な」という点に関しては、協議体としてのASEAN、APECなどに期待したい。当初は対社会主義国として、信頼醸成のための協議体であったが、すでに社会主義国を多数取り込み、目的は異なるものへの変わってきている。そして、一つのことに対して合意ができたときの団結力の強さというアジアの特徴を生かして、解決されていくのではないだろうか。

そして、今回、経済危機により統一通貨の可能性が、多様性の克服につながらないかという考察を行ってきた。近年のアジアにおけるASEAN方式の討議方法というのが、西洋諸国はひとつの決定に時間がかかり、拘束力がないということに疑念を抱いているが、私は、それらの疑念はアジアにおいてはさほど問題ではないと考える。それは、この20年間のASEANでの討議の実績などを考えれば、楽観視できるのではないかと考える。さらに、そのような討議方式というのが、西洋諸国においても場合によっては、うまく、ことが運ぶこともあると考えられる。それは地球温暖化防止条約及び、締約国会議がそのいい例であるといえる。

また、私の展開において、アジアの多様化の克服が先か、通貨統合が先かということについては特に論じていないが、それは、このような国際関係の問題は、一側面だけから語ることは愚問であり、やはり、それぞれの問題がどちらも少しずつ先へ進むだろうし、お互い促しながら進むのだろうと考えられる。

最後に

アジアにおける多様性・価値観、結果として生まれた協議体としての地域規範形成方式を、述べてきた。数年先すら予測するのが難しい今日において、長期的なスパンを要する経済統合・通貨統合に関して、「可能だ」などということは、専門家ですら簡単には述べられない。しかし、経済危機後のASEAN+3のつながりなどを考慮するに、まったくありえない空想ではないように思う。「生きている間に通貨統合・経済統合が見られたらなぁ」と思うのは、私の空想であるのだが。

資料

近藤健彦の提案

 彼の提案は「APEC共通通貨単位」の創設である。コンセプトは次の通り。なお、この提案は現時点における次段階へ進むための提案であり、下記のアジアモデルに当てはめるならば、第一段階に当たる。

  1. ドル、円、人民元、韓国ウォン、タイバーツなどのAPEC参加主要国の通貨カクテルとする。
  2. どの通貨をどの比率で組み入れるかはAPEC大蔵大臣会議が決定する。
  3. APEC事務局は毎日、APEC共通通貨単位の対米ドル、対円などのレートを計算して発表する。
  4. 当面、価値表示の単位としてのみ使用する。いうなれば純枠計算単位であり、当座は資産としての実体を持たせない。
  5. APEC域内の貿易・投資の表示単位として使用する。ただし通貨当局は、APEC共通通貨単位の使用を強制しない。民間の当事者が貿易や投資の表示単位として使うかどうかは「契約の自由」にまかせる。

というものである [17]

アジアのドル使用率の現状、人民元の潜在力、及び円の強さを考慮し、これらの通貨はバスケットの中に加えられるべきであり、個々に列挙されたものだけに限らなくても良いとする(これはバスケットに加えられた国が将来の共通通貨圏の一員でなければならないというわけではない [18] )。また、あくまでも価値基準(ニュメレール)としての通貨単位であるということが特徴である [19]

共通通貨のメリットと限界 [20]

 メリットとしては、

  1. 域内の為替リスク・為替コストがなくなる。域内の貿易・企業進出が拡大する。
  2. 経済計算単位が一本化されるため、価格形成が透明になり、消費者に資する。
  3. 域内の資本市場が発達する。従って国内開発資金を市場から調達しやすくなる。
  4. 域内他国が安定した政策を取っていると、国内コンセンサスを得やすくなる。
  5. 通貨圏が広がるだけ対外ショックに対して強くなる。
  6. 以上から、「金融政策の独立」「為替レートの安定」「資本移動の自由」を地域全体として解決する。

 デメリットとしては、メリットCに対して、各国が景気対策として、一国単位での金融政策や為替政策を使えなくなる。

共通通貨単位のメリットと限界 [21]

共通通貨単位のメリットは

  1. 為替リスクの分散・軽減させることである(安定した資産運用に似ている)。
  2. 為替レートは特別な安定をもたらす。
  3. 各国の金融政策の独立性が保たれる(経済的に本当にメリットかは議論あり)。
  4. 共通通貨への大きなステップとなる。

デメリットは、バスケット構成通貨に対し、通貨投機はなくならない点である。

共通通貨への道のり(アジアモデル) [22]

このアジアモデルというものは、EUで経たものを多少変更したものであるが、こうでなければならないなどというものではない。もちろんEUケースもいろいろな外的事情によって、少しずつ段階を踏んだのであり、アジアがこれから先何らかの外的事情により少しずつ段階を踏んでいくと思われる。スパン的なものは一つの段階を進むのに10年くらいかかるのではないだろうか。

参考文献



[1] 近藤健彦著『アジア太平洋共通通貨論』 p. 16-20(JETRO 2000年).

[2] 『日本経済新聞』1997年9月21日付; 『日本経済新聞』1999年6月4日付.

[3] 近藤, Supra note 1 , p. 44.

[4] Ibid. p. 47-53.

[5] 『読売新聞』1999年4月8日付.

[6] 山影進「東アジアから見た「東亜の構想」〜アセアンの広域秩序形成力と日本〜」、大沼保昭編著『東亜の構想〜21世紀東アジアの規範秩序を求めて〜』第4章133-164、p. 146-147(筑摩書房 2000).

[7] 井上達夫「リベラル・デモクラシーと「アジア的価値」」、大沼保昭編著『東亜の構想〜21世紀東アジアの規範秩序を求めて〜』第1章21-64、p.21(筑摩書房 2000).

[8] Ibid. p. 23.

[9] Ibid.

[10] Ibid. p. 24-27.

[11] Ibid. p. 28-32.

[12] Ibid. p. 32-38.

[13] Ibid. p. 23.

[14] Ibid. p. 39-47.

[15] Ibid. p. 47-56.

[16] 山影, Supra note 6 , p. 140-142.

[17] 近藤, Supra note 1 , p. 9.

[18] Ibid. p. 51-52.

[19] Ibid. p. 37-43.

[20] Ibid. p. 61-62.

[21] Ibid. p. 62-64.

[22] Ibid. p. 57.

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